年をとると言うことはある分野に専門的になる、と言うことなんだと思う。小学生の頃はあまり気付かなかったけれど、少しずつ、年を取るにつれて感じるようになってきた。ほとんどの奴より野球が上手かったのに、中三の頃には普通のレベルの人間だった。これは僕が、部活に入らないと言う選択をしたからである。工場で働いている人も、パソコンを使って仕事をしている人も、弁護士の人も、医者の人も。みんなその道を選んだことで何か失っていると思う。何かを選ぶと、何かが手からすり落ちる。落ちたものを拾おうとすると、もう片方も落としそうになる。慎重に取ろうとしてもそれは「覆水盆に帰らず。」みたいな者の時もあるのだろう。と言ってひとつのことを突き詰めて、突き詰めて、結局なんだか分からなくなるのも考え物である。
最近だらなしなく、幸せそうに笑えなくなってきた。このブログの意義をもう一度確認しようと思って、過去の記事を読み返していった。昔の僕もだらしなく、幸せそうに笑っていたとは思えない。どこか無理のある文ばかりである。特徴的な文でもある。読んでて恥ずかしい。